漢方薬のお店って、病院に通うよりもなんとなくハードルが高い。そう思う方も多いのではないでしょうか。
そんなネガティブな印象を覆す漢方薬店があります。
京急蒲田駅からすぐの場所にある「八鈴堂」。
白と木目を基調とし、ドライフラワーやアートが飾られる店内。まるで漢方のお店とは思えない雰囲気です。
「とっつきにくいのはよくわかります。それでも飛び込んできてくれる方にはきちんと向き合いたい」
漢方薬店 八鈴堂の代表、鈴木智香さんは漢方に携わって15年になります。
「目の届く範囲でやりたい」とこだわりをもち、相談業務に重点をおいています。
2024年5月で開業から2周年を迎え、翌月の予約枠がすぐに埋まるほど愛されるお店となりました。順風満帆に見えますが、開業は前向きな決断ではなかったそうです。
どのような思いでお客さまの健康と向き合っているのでしょうか。
悩みながら営業を進めるなか、Web販売を始めるよう周りから言われているけれど、なかなか手が付けられないとのこと。
理由は「同じ症状でも人によって必要な処方が違う。その人に合ったものを選べているのか気になるから、どんな人が買っているかわからないのは……あまり乗り気になれない」と笑って話してくれました。
独立したときの思い、健康への考え方、お客さまとの関わりなど、普段は見えない裏側のお話をうかがいました。
鈴木 智香(すずき ちか)
八鈴堂(はちりんどう) 代表
大学卒業後、医薬品専門商社に入社。働くうちに個人の健康にアプローチしたいと考え退社。
栄養専門学校に入学。八仙堂漢方薬局にアルバイトとして勤務。
卒業後はアルバイト先に正社員として従事し、独立。八鈴堂を開業。
漢方だけでなく栄養学、解剖学、東洋医学などをかけ合わせ「必要なものを必要なぶんだけ」の処方でお客さまの健康に寄り添う。
八鈴堂について
——まず、お店についてご紹介いただけますでしょうか?
漢方と栄養学の知識を組み合わせてご提案できることが特徴です。漢方は師匠のもとで13年修行し、栄養学は専門学校で学んだので自信を持ってお伝えできます。
カウンセリングは、対面相談・電話相談ともに1対1で60分のお時間をとっています。他の人に会話を聞かれないので安心してお話しください。
また、リピートのお客さんは公式LINEからいつでも相談できるようにしています。次回カウンセリングまでの間に、服用してからの体調の変化や心配ごと、他の薬との飲み合わせなど、気になることがあれば連絡してほしいとお伝えしています。
商社に就職、専門学校での学び直しを経て漢方薬店を開業
——なぜ独立を選んだのでしょうか?
「この道を選ぶしかなかった」に尽きます。企業に勤めたこともありますが集団行動や飲み会が苦手で、興味があることの文章しか読めない。
「手に職ですごい」と言われるけど消去法なんです。むしろ、多くの人にできることが私はできないという劣等感ばかり。
自分にできることを探したとき、一番長く携わった漢方しかなくて「これで開業して倒産したら業界からきっぱり足を洗おう」と思って始めました。
——最初はどのような企業で働いたのでしょうか?
専門商社に入り、ドラッグストアに薬を卸す部門に配属されました。過去にドラッグストアでの販売経験もあり、販売自体は好きだったのですが、1年半ほどで辞めました。
たしかに世の中が求めているものを売っているのですが、顧客目線ではないことに違和感があって。私が好きだったのは個人に売っている感覚だったんですよね。
ドラッグストアで働いていたとき、今月はこの薬を売りたいから、と店長からそれぞれの薬の説明を受けていました。でも、なぜこの症状にこの薬が効くのか?という疑問があって、薬の成分を勉強するようになりました。
特徴が分かると納得して売れるし、お客さんの症状に合わせて説明できるのがおもしろかったんです。
会社ではそういう働き方ができなかったので、辞めたあとはドラッグストアに戻って栄養専門学校に入りました。
——なぜ栄養専門学校に?
最初は薬を勉強したいと思ったけど、薬学部は経済的にも学力的にも無理でした。
その頃、体調不良が続いて通院していたのですが、どの病院に行っても「ストレスが原因」「気持ちが弱い」と言われました。サプリメントも勉強して海外から取り寄せましたが、体調はよくならない。
他にできることはないか探したとき、口にするものを見直そうと考えました。「人間の基礎は栄養学だ」と思い、もともと興味のあった人体の構造も勉強できる栄養専門学校がちょうどいいなと。
——在学中に、漢方薬局で働き始めたんですよね。もともと興味があったのでしょうか?
全然なくて(笑)。たまたま見つけたんです。栄養専門学校を卒業したあとの進路は調理系が多くて。でも当時は水も触れないくらいアトピーがひどかったので、調理の仕事は選べなかった。
最初の会社で取っていた「登録販売者」の資格を活かそうと求人を探していたら、漢方薬局が出てきました。直感で「ここを逃したらもうチャンスがないかもしれない!」と。「なんでもするので働かせてほしい」と何度も頼み込んで雇ってもらいました。
その頃はメンタルや生活がぼろぼろだったので「自分を変えないといけない、なにかを持たなきゃいけない」と必死でしたね。
——そこから開業までの経緯を教えてください。
卒業後、そのまま漢方薬局に就職しました。はやく知識をつけたい一心で、寝る時間以外は漢方の勉強や相談業務にあてていましたね。
でもキャパオーバーな生活を数年続けたことで、体調不良が重なって。仕事をセーブしたのですがコロナ禍で家計が厳しくなり、また元の働き方に戻りました。
このままではいけないと思い、夫と2人で仕事や子どものことなどを話し合いました。コロナ禍で免疫が注目されるようになり、夫も栄養を学んでいたこともあって「やはり栄養学、食事指導が大切だよね」と。
いまから他のことはできないと思って、選択肢が他にありませんでした。「漢方と栄養学のかけ合わせがオリジナリティになる」と周りから背中を押され、開業を決めました。
1人ひとりに向き合うための完全パーソナル相談
——「1対1で、60分のカウンセリング」は開業時から決めていたのでしょうか?
決めていました。修行していた漢方薬局では3席あって、カウンセリングの時間は1人30分まで。当時から、周りの声や動きが気になってお客さんに集中できなかったこと、カウンセリング時間が短いことが、私にとって課題でした。
なので自分のお店では、私がやったほうがいいと思っていることを全部やってみようと決めていました。
——リピートのお客さまは、カウンセリング時間外にいつでも連絡できる体制ですよね。理由はありますか?
だいたい1か月間隔なので、処方は次回までの最低限の分量にして「つらかったらいつでも連絡してね」という方針なんです。
先回りで心配して、余分な処方を出すのは、お客さんが自信をつけるための成長の妨げになっちゃう。「未病」の状態から体調を良くするためには 、見守ることが真髄だと思っています。
未病とは、健康ではないが、といってはっきりした病気にかかっているわけではない状態で、病気の前段階あるいは半健康な状態。
崇城大学 薬学部
——パートナーさんとの業務の役割分担はありますか?
夫と2人で同時にカウンセリングに入るときもあります。私は解剖学や人体の構造などが得意。夫は栄養専門学校で優秀賞をもらうほど知識量がすごくて、その中でもスポーツ栄養学が得意。
お互いに得意分野が違うから苦手なところは補ってもらえます。
信念は「私がいなくてもみなさん自身で健康を支えられること」
——長く通うお客さまも多いのでしょうか?
ありがたいことに、前のお店から10年以上のお付き合いになるお客さんもいますね。でも基本的には「通うことの卒業を目指しましょう」とお伝えしています。
治療に関して、私が先導していくというよりも、必要なものを補って余分なものは削ぎ落とす作業のお手伝いをしているだけなんです。お客さんが「鈴木さんに頼れば大丈夫」と依存のようになってしまうのは、不健全だと思っています。
——「卒業を目指してほしい」という思いはいつからでしょうか?
震災が起きたときや近しい人を失った方を見るたびに思うんですよね。
拠り所があっても失ったときのつらさは大きいし、私も急にいなくなるかもしれないし。いつまでお客さんを見届けられるかわからない。
お客さんご自身で身体を守れる知識をつけて欲しいんです。なので、カウンセリング時に処方の効能や身体の部位、季節、天気、食事などの関わりを図に書いてお話しています。
私の話を聞くだけではなく、知識として持ち帰って欲しいと思っています。
「中庸」の考え方から、決まりを作りすぎない
——漢方には「中庸」の考え方がありますよね。鈴木さんにとっては、どのような状態だと捉えていますか?
中庸とは、過不足がなく調和がとれていること。
コトバンク
ちょっと低空飛行くらいがちょうどいい。そのほうが頑張りたいときにギアを入れられる余白ができるんですよね。幅がある状態にしておきたいんです。
——自分が中庸な状態かどうかを判断する具体例はありますか?
あくまで私の基準ですが、お客さんと話していて説得モードになっている時は中庸ゾーンから出てハイになっています。
お客さんは褒めてくれていても、「たくさん喋るお仕事で大変ですね」と言われるとハッとしますね。私にとっての中庸から外れてしまっているので、調整しなきゃいけないと気づきます。
師匠から「話すのが上手じゃだめ、聞くのが上手じゃないと」と言われたくらい、聞くことが重要な仕事です。中庸ゾーンの、ちょっと低空飛行の状態だと相手の話が聞きやすいですね。
——中庸をキープするためには自分の時間が大切だと思いますが、心がけていることはありますか?
子どもが寝たあと、映画を見たり漢方の臨床を読んだり、インスタ投稿したり。たまに夜中に蒙古タンメンを食べることもあります。
——夜中に!いいのでしょうか?
何日も続けて食べるのは良くないですよ。でも運動や漢方、食事などと組み合わせてあとから調整できれば、ジャンクフードだってスイーツだって食べていい。完璧にやろうと思うことが負担になると思っています。
カウンセリングにも通じることがあって、私は漢方の処方以外に市販薬も提案します。一時的な不快感やつらさは早く取り除いてあげたい。症状を緩和できるのであれば、西洋医学も薬膳も否定しない。
ひとつの思考に偏らないこと。これも「中庸」ですね。
ずっと「自分を救うためにやってきたこと」だった
——以前インスタで拝見したのですが、「『心が弱い』のではなく『脳が疲れているだけ』」という考えはいつからでしょうか?
調子が悪くて病院を転々としていた頃「心が弱いからだ」と言われたけど、じゃあどうやって鍛えればいいんだと納得いかなくて。
すごく調べて「心は脳」と書かれているのを見つけたとき、これだ!と思い、論文などを掘り下げました。
医者でもなく心理学者でもない私が語るためには、栄養学からアプローチしようと。
お客さんに「まずは心というのは、脳科学的に言うと脳のこの分野らしいですよ」と説明して、「すると、脳はこういう栄養素からできているので……」と栄養素の話につなげられる。
「私は心が弱いから」と言うお客さんに対して、脳の疲れに気づき栄養を補うことで、身体は自分でケアできるということを伝えられるようになりました。
——「自分のため」から「お客さまのため」になっているのですね。
そうでもなくて、今も自分が救われるためにやっています。頭の中に散らかった知識をお客さんにお話しすると 「そんなことまで知ってるんですね」と言ってくれる。
私にとっては、ゴミ屋敷にあったものをメルカリに出したら売れたみたいな感じ(笑)。
今までやってきたこと、傷ついてきたこと、感じてきたこと、全部が無駄じゃなかったんだなと、お客さんが増えるほど回収させてもらっています。